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横浜地方裁判所 昭和49年(ヨ)748号 判決 1978年5月12日

申請人 田中将治

右訴訟代理人弁護士 宇野峰雪

同 鵜飼良昭

同 柿内義明

被申請人 大和製罐株式会社

右代表者代表取締役 山口久吉

右訴訟代理人弁護士 小島洋祐

同 山下良章

主文

1  申請人が被申請人東京工場の従業員たる地位にあることを仮に定める。

2  被申請人は申請人に対し、昭和四九年六月一六日以降本案判決確定まで毎月一五日かぎり一か月金九万七九一九円の割合による金員を仮に支払え。

3  被申請人は申請人に対し、金一七万七三二四円を仮に支払え。

4  申請人のその余の申請を却下する。

5  申請費用はすべて被申請人の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  申請人

1  主文第一項同旨

2  被申請人は申請人に対し、昭和四九年六月一六日から本案判決確定に至るまで毎月一五日限り一か月につき金一二万六五五円の割合による金員を仮に支払え。

3  被申請人は申請人に対し、金一七万八五九〇円を仮に支払え。

4  申請費用は被申請人の負担とする。

二  被申請人

1  申請人の本件申請をいずれも却下する。

2  申請費用は申請人の負担とする。

《以下事実省略》

理由

一  申請の理由1の事実および被申請人が申請人に対し、五月一一日に同日付で仙台工場製造課工務掛勤務を命ずる旨の本件配転を通告し、抗弁1の(2)のような経過をたどって、六月一五日本件解雇の意思表示がなされたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  しかして、申請人に対し本件配転を発令するに至った経緯については、

(一)  《証拠省略》を総合すれば、被申請人は、昭和四八年一〇月ごろ仙台工場の受電能力、LPGプラント、コンプレッサー、ボイラー等の動力に関する諸設備を増強することになり、これに伴って、製造課工務掛を含め、従業員をふやす必要が生じたこと、仙台工場長は、三月中旬本社に対して工務掛の職種のうち動力、仕上げ両部門の経験者各一名を至急派遣して欲しい旨要請したが、本社の杭田保孝人事課長は、各工場がいずれも少ない人員をやりくりして操業しており、とくに仙台工場は比較的人員に余裕があるとして、極力同工場内において補充するよう回答したこと、しかし、仙台工場長は、四月上旬本社に対し、動力、仕上げのいずれか一名でよいから要員を至急派遣してもらいたいと重ねて要望したため、杭田人事課長は、東京工場から工務掛の要員一名を選定し、仙台工場に派遣することにしたこと、以上のように一応認められる。

(二)  《証拠省略》によれば、杭田人事課長は、動力では電気・ガス・冷凍機・空気圧縮などエネルギー関係の技術を有する者、仕上げでは機械の据付け・修理・溶接・板金・部品の加工整備などの技術を有する者をそれぞれ選定基準として人選し、申請人が昭和四八年九月ごろ作成提出した「社員票」に基づき(この「社員票」は、申請人が右のころ作成したものであることは当事者間に争いがない。)、その経験職務、家族状況などから申請人を最適任と判断し、五月七日、申請人所属の東京工場に照会して、鹿間信敏工場長、浦田策弘次長らの意見を求めたこと、申請人の直属の上司である合谷二郎工務課長は、申請人を「出したくない」「できれば避けてもらいたい」などと述べたが(合谷工務課長が申請人の直属の上司であり、かつ、同課長が右の如く述べたことは当事者間に争いがない。)、結局、同日東京工場長らの了承をえ、さらに仙台工場長の同意をえたうえ、杭田人事課長は、五月九日、申請人を仙台工場に派遣することに決定したこと、以上のように一応認められる。

三  申請人は、被申請人による本件配転命令は業務上の必要性、人選の相当性などからみて人事権の合理的限界を逸脱したものであり、その濫用として無効であると主張する。そこで、本件配転の当否について検討する。

(一)  仙台工場製造課工務掛に対する本件配転の必要性、緊急性について

1  《証拠省略》に徴すると、当時仙台工場の製造課長であった林田郷介は、「昭和四八年一〇月に生産設備等の増強が本社において決定され」、「この増強計画を前提として昭和四九年高卒の採用活動に取組みました」とし、同工場は右高卒者を二七名採用したが、その中に二名の工務掛適任者がいた旨、さらに、「時期的には右の高卒採用内定後ですが、工務掛の増員につき、昭和四九年四月に動力グループは二名から三名に、仕上げは三名から六名に、機械は二名から四名に、設計は一名から二名に増員されることに決定され」た旨述べており、そして、同人の述べるところから、本件配転は右にいう増強計画に基づくものであることが看取されるのである。もっとも、高校卒業者の採用内定後になって、ようやく工務掛につき右のような増員計画が決められたとすることについては、その当否ないし真否に関しいささか釈然としないものがあるけれども、この点は暫く措き、前項(一)認定のように三月中旬の仙台工場からの派遣要請を端緒とする本件配転の根拠としては、時期的にはそれなりに首肯しうるものがあるといえる。

ところが、被申請人は、本件において、動力は「昭和四九年三月末在籍人員二、四九年四月現在在籍三(含実習生一)、今後の配置予定人員五」であり、その補充計画として「経験者一名・他工場からの受入れ(早急)、未経験者一名・四九年三月卒の受入又は五〇年三月卒予定者の採用」とし、また、仕上げは「四九年三月末在籍人員三、四九年四月現在在籍六(病欠一、含実習生二)、今後の配置予定人員八」であり、その補充計画として「経験者一名・EOEの四九年八月稼働時迄に他工場からの受入れ、未経験者一名・五〇年三月卒予定者の採用」と主張し(抗弁2の(1)のイ)、右にいう補充計画に基づいて本件配転を行ったと主張しているのである。しかしながら、《証拠省略》によると、杭田人事課長は審尋の際に、右のような補充計画に添う供述をしているものの、それは九月四日「現在仙台で計画されている内容」として述べており、また、同課長作成名義の前示乙第三号証においては、同様の補充計画につき、これを「今後の配置予定(五〇年一〇月)」として記載しているのであって、そうであれば、かような補充計画が時期的にみて、三月中旬の派遣要請に始まった本件配転の根拠たりえないことは明らかである。してみると、「四月現在」叙上のような「在籍」者を擁していたことを自陳している被申請人は(《証拠省略》において、杭田人事課長も右自陳事実に符合する記載、供述をしている。)、如何なる増員計画に則って本件配転を具現したのか、その計画策定の時期、内容など、本件配転の基盤そのものについて疑問を抱かざるをえないのである。

仮に、被申請人の主張を容れ、その主張する前記補充計画に即して考えてみても、動力と仕上げとでは補充の緊急度を異にしていることは右計画自体から自ら明らかであるから、それにもかかわらず、四月上旬になって仙台工場が両者を同列に置き、動力、仕上げのいずれか一名を至急派遣して欲しいと求め、本社がこれに応じたということ自体、補充計画そのものの一貫性、整合性の欠如を物語っているといわざるをえない。

2  被申請人の本社は、前記のように自ら仙台工場の生産設備等の増強計画を決定しており、そしてまた、当然全社的な立場で各工場の人員配置の適正度を把握しているとみるべき筋合いであるから、仙台工場が杭田人事課長から前記のような回答を受けながら、その後一か月も経っていない四月上旬にあえて動力、仕上げのうちいずれか一名の至急派遣を重ねて求めたという事実からすれば、同工場の人員補充には余ほどの緊急性があったものと考えるのが自然である。ところが、前項(二)認定のように、被申請人はようやく五月九日になって本件配転を決定しているのであって、本社が何故右の時期に至るまで荏苒日を重ねたのか、その理由をつまびらかにする証拠は見出すことができない。のみならず、申請人を最適任と判断するについては、「社員票」の調査と東京工場長らに対する照会とを行ったに過ぎず、かつ、これにさほどの時日を要していないことも前項(二)認定の事実からたやすく窺知できるところであるから、そうとすれば、仙台工場による要員派遣の要請は、全社的観点からはしかく緊急性がなかったものと推測せざるをえない。そして、申請人の本件配転拒否により、本件解雇の意思表示がなされてのち、約一か月半も経過した七月下旬に至って清水工場から代替要員一名の派遣を決定し、かつ、八月一日付でその転勤命令を出した旨の被申請人の自陳事実もまた、上記緊急性の欠缺を裏付けているといわざるをえない。この点に関し、被申請人は、代替要員の決定が遅れたのは、清水工場が七月七日集中豪雨によって大きな損害を蒙ったため、その跡仕末に追われたことに因ると主張するが、右にいう集中豪雨の時期を考えても、到底これが代替要員の派遣遅滞を正当化するものとは思われず、したがってこの主張は採ることができないし、他に遅滞理由について納得させるに足る疎明もない(なお、証人村岡の証言によれば、右清水工場からの派遣要員も昭和五一年一一月ごろには同工場に復帰し、その後任補充は行われていないことが認められる。)。

(二)  人選の相当性について

1  《証拠省略》によると、申請人は、前記のように被申請人に入社後七か月程して作成提出した「社員票」に、経験職務として、溶接は「充分マスターしている」、ボイラー・冷凍機・空気圧縮機は「概ねできる」、免許・資格・特技は「電気溶接」、現在勉強している分野は「ボイラー・高圧ガス」とみずから記載していることが認められ、さらに、成立に争いのない甲第一八号証によると、申請人は昭和四八年八月に右ボイラーの免許を取得していることも認められる。ところが他方、申請人が、高圧ガスについては、被申請人に入社して初め取扱ったもので、その経験は一年三か月、未だ免許は取得していないこと、また、溶接については、被申請人に入社後、これを取扱っていないこと、はいずれも当事者間に争いがなく、そして、《証拠省略》を総合すれば、申請人の有する溶接技術は、従前の勤務先である日本工務株式会社(申請人が被申請人に入社前、同社に勤務していたことは当事者間に争いがない。)において習得したもので、鉄骨・橋梁を対象とするものであること、そのためもあって、申請人は五月一〇日川崎市所在の日本溶接技術センターにおける磁粉探傷試験(ガスプラントの溶接部分の検査に関するもの)の講習を受け、翌一一日もこれを受講する予定であったことが認められるのである。

ところで、仙台工場の派遣要請に対する杭田人事課長の要員選考の基準は前項(二)に認定のとおりであるが、同課長は右基準に拠って、申請人を動力、仕上げいずれの要員として選んだのか、本件に顕われた資料からは必ずしも明確ではない(《証拠省略》によると、審尋の際に、杭田人事課長は、初めは申請人を動力、仕上げ両職種に通用するという認識で選定したと述べながら、後には動力に充てるということで人選したとも述べている。)。しかし、いずれの要員であるにせよ、前記のような職務経歴等に鑑みれば、東京工場に限ってみても、申請人と同程度、あるいはそれ以上の技能を有する従業員を他に求めることは、さほど困難でなかったであろうことは弁論の全趣旨からも容易に察知されるところであり、したがって、杭田人事課長が申請人を最適任と認めたという根拠は、他の要素、すなわち申請人の年齢、家庭状況などを重視したことによると推論される。《証拠省略》によって認められる審尋の際の同課長および浦田次長の各供述も、また、《証拠省略》によって認められる、六月二二日の団体交渉の際に同課長らが組合に対して行った説明内容も、以上のような推論を裏付けているといえる。

進んで、申請人が当時二四歳であったことは《証拠省略》によって認められ、また、同人が秋田県出身であり、妻と幼児一人を抱え、借家住いであったことは当事者間に争いがないところ、かような事情と対比較量すべき他の従業員のそれについては何ら資料が提出されていない。しかし、申請人は、本件配転当時、東京工場には昭和四七年二月以降仙台工場から転勤してきた従業員が延べ一六名もいたのであるから(この事実は当事者間に争いがない。)、仙台工場に要員を派遣するならば、まずこれらの者のうちから帰任させることを考慮するのが常道であると主張し、これに対して被申請人は、一六名のうち一名だけを帰仙させ、残余の者を東京に留め置くことは適切でないから、右一六名全員を選考の対象から除外した旨反論する。そこで、この点について考えてみると、《証拠省略》を総合すると、仙台工場から東京工場に転勤する従業員は、二年とか、三年とか期限を区切って来ている者が多いこと、そして、ともに昭和四七年二月一一日付で東京工場に転勤し、したがって叙上の一六名に含まれると思料される小林茂、加藤武善両名については、前者は九月一日付で、後者は一〇月一日付でそれぞれ東京工場製蓋課第二掛から仙台工場製造課製蓋掛に転じていること、が認められる。そうだとすれば、この両名がいずれも工務掛ではないことを斟酌しても、他方において、清水工場では七名の従業員が動力、電気双方の仕事を兼ねていた旨の被申請人の自陳事実および《証拠省略》において、当時の林田製造課長が仙台工場の製造課内においても掛員が相互に応援あるいは兼務し合っていた旨述べている事実が存することをも勘案すると、一六名のうちから一名だけを選んで個別に帰仙させることが不適切な措置であるとし、その全部を選考の対象外にしたという被申請人の反論は、それ自体、説得力に乏しいものといわざるをえない。

2  《証拠省略》によると、被申請人の就業規則には、その二一条一項に「業務の都合により転勤又は職場・職種の変更を命ずることがある。」と規定されていることが認められる。しかしながら、《証拠省略》を合わせると、被申請人では、現場の作業労働に従事する者の採用は、その発令名義はともかく、各工場単位でその衝に当り、申請人の場合も例外ではないこと、そして、これら現場作業員は、事務職員、とくに管理職員らいわゆる幹部要員として直接本社において採用した者などと異なり、就労場所の変更を内容とする転勤の対象になった事例は極く稀であり、ただ、前述のように一定の期限を画して、応援あるいは実習の意味で東京工場、ときには清水工場に勤務を命ぜられた例が見られるにすぎないこと、以上のように認められ、この認定を動かすに足る疎明はない。本件配転に関して、杭田人事課長が当初仙台工場に与えた回答も、仙台などいわゆる地方は、東京に比して現場作業員を採り易い地域的環境にあったことを物語っており、これもまた叙上の認定を補強する資料ということができる。

反面、当時、東京工場工務課動力掛において人員が十全でなかったことは右杭田人事課長の回答から自ら窺うことができるが、《証拠省略》によってもこの事情は看取され、さらに、《証拠省略》を合わせると、同掛動力班では、申請人を除いて残余の班員が八名となったのち、八月一日付で新規に三名が採用され、これが配属になったことが認められるのであり、この事実もまた、そのころの人員不足を示す証左といいうる。

3  1および2にみられるような事実関係から推すと、合谷工務課長が当初申請人の配転に反対する意向を表わしたことは、被申請人の主張するように単に直属上司の立場からの当然の発言とも速断し難く、職場における従前の事例を了知し、かつ、現場作業の実情に通暁している者の意見として、十分斟酌に値するものと考えられる。

(三)  発令手続について

1  本件配転の発令に当って、被申請人が申請人に事前の内示をしなかったことは当事者間に争いがない。しかし、《証拠省略》を総合すれば、被申請人においては、転勤発令の場合、通常その一週間ないし一〇日位前までに内示を行う慣行があること、そして、本件配転以前に内示を行わなかった事例は見当らないことが一応認められ、この認定を覆すに足る疎明はない。

ところで、内示は一般的に使用者が労務指揮権の行使に先だち、配転、出向等に対する相手方従業員の意向打診の一面を有しており、それが発令手続において持つ比重は当該組織体における慣行などにより一概に定め難いであろうが、この段階では、未だ相手方従業員の労働契約上の地位に何らの変化ももたらされてはいないから、右従業員あるいはその上司などから配転等に応じ難いとする陳弁または意見具申がなされ、それが組織全体からみて客観的合理性を備えているものであれば、使用者において労務指揮権の行使を再度検案し、発令を自制、変更する可能性のあることは否定できない。これに反して、正式発令の段階に至れば通常もはや右のような手続上の可変性は皆無にひとしく、換言すれば、発令が取消し、撤回される可能性は極めて微少なものになると解されるから、事前内示の慣行が存するにもかかわらずこれを無視して敢えて発令し、その結果、相手方従業員において右手続の瑕疵、不備を訴えたときは、使用者としては、従業員にとって有利な前記可変性を否定するに足る緊急な事情、その他特段の事情が当時存在したことを主張、立証しなければならず、これがなされない限り、発令後になって従業員に対し、配転等に応ずるよう如何に説得を重ねたとしても、手続上の瑕疵そのものは治癒されることがないというべきである。

本件についてこれをみるに、《証拠省略》によれば、浦田次長は審尋の際に、申請人には「決裁を得ている正式な決定事項」であるからもはや撤回できない旨告げたと述べていること、また、《証拠省略》によれば、六月二二日に行われた団体交渉の折に杭田人事課長らから同旨の発言がなされていること、がそれぞれ認められる一方、《証拠省略》を総合すれば、本件配転発令後、六月初旬までの間に約九回にわたって鹿間工場長、浦田次長、斎藤東京工場人事掛長らが申請人と話し合い、「説得」を行ったことが認められる(申請人がそのころ右工場長らと話し合ったこと自体が当事者間に争いのないことは、前記のとおりである。)。けれども、右のように配転命令が動かし難い段階になって行われた「説得」の内容を参看しても、その他本件に顕われたすべての疎明によっても、本件配転発令時に、内示を行う余裕がなかったほど緊急な事情、その他特段の事情が存したことを認めるに足る資料は見当らないのであり、かえって(一)の2に認めたように、かような緊急性はなかったものと推断せざるをえず、所詮、本件配転に関する手続は、慣行に反したという瑕疵を帯びていることを免れない。

2  なお、ようやく七月下旬になって清水工場の一名を代替要員として決定し、八月一日付で発令した旨の被申請人の前記自認事実からすれば、被申請人は当初の人選に際して、選考のための資料の検討を全従業員につき仔細に行っていれば、本件解雇の意思表示ののち当然直ちに着想されてしかるべき次善の候補者に関して全く対応がなかったものといわせざるをえないから、これに1のような発令手続を合わせると、本件配転について、被申請人は選考のための資料、なかんずく被申請人において重視したとされる「社員票」を、全従業員について公平、詳細に比較検証したのか否か、延いては、人選に当って申請人以外の者は全く念頭になく、ただ専ら申請人を要員の対象として考慮したのではないか、との疑念が湧いてくるのである。この点に関して、《証拠省略》によると、六月二二日の団体交渉の席上、杭田人事課長らは「二、三人の候補について検討の結果」申請人に「辞令を出した」旨説明していることが認められるけれども、叙上のような発令前後の経過に鑑みると、右の説明はただちに信を措き難いところである。

四  前項(一)ないし(三)を通観すれば、本件配転は業務上の必要性、人選の相当性などにおいて客観的合理性を欠くものがあるというべきであり、むしろ、異例とも目すべき発令手続にうったえて、ことさら申請人に不利益を与えようとした意図の伏在を推知せしめるに足るといわざるをえない。してみれば、本件配転命令は、被申請人の労務指揮権の濫用としてその法的効果を生じないものと解するのが相当である。

被申請人は、申請人の本件配転拒否は就業規則六四条四号に該当すると主張しており、同号が諭旨解雇または懲戒解雇事由の一つとして、「正当な理由なしに会社の指示命令に従わ」ない行為を挙げていることは申請人の明らかに争わないところである。しかし、叙上のように被申請人の本件配転命令はその法的効果を生じないものと解すべきであるから、申請人がそれに従わなかったからといって右規則にいう「会社の指示命令に従わ」なかったということはできず、したがって、本件配転命令に従わないことを理由とする本件解雇の意思表示は、解雇の理由がないのに解雇したものということができるから、解雇権の濫用としてその効力を生じないというべきである。

五  被申請人が申請人を解雇したとして、六月一五日以降従業員としての取扱いを拒んでいることは当事者間に争いがない。そして、《証拠省略》によれば、申請人の賃金は、二月が八万九九〇六円、三月が八万九九七〇円、四月が一一万三八八一円(そのうち、基本給が一か月六万三三三〇円、社員二級としての資格給が一か月一万二六六六円であることは当事者間に争いがない。)であることが認められ、したがって、右三か月の平均賃金月額は九万七九一九円となり、また、被申請人においては、毎年七月一〇日、一二月一〇日現在の従業員に一時金が支払われることおよび昭和四九年上期(七月一〇日)の一時金は、組合との合意に基づき社員二級について基本給の二・八〇か月と定められたことはいずれも当事者間に争いがないから、申請人の受けるべき右一時金が前記基本給六万三三三〇円の二・八〇倍、すなわち一七万七三二四円となることは計数上明らかである。もっとも、成立に争いのない甲第一六号証に徴すると、組合東京支部柳町慶治支部長名義により申請人に対する右一時金は基本給の二・八二倍が相当である旨の証明のなされていることが認められるが、社員二級である申請人の一時金が上記のような合意があるにもかかわらず、なぜ特に二・八二倍を相当とするのか、その理由は分明ではないから、結局、同号証を一時金計算の根拠として採ることはできない。

しかして、《証拠省略》によれば、申請人は右賃金、一時金を唯一の収入として生活していることが一応認められる。

六  よって、保証を立てさせないで、申請人が被申請人東京工場の従業員たる地位にあることを仮に定め、かつ、被申請人に対し、本件解雇の日の翌日である六月一六日から本案判決確定まで毎月一五日かぎり(賃金が各月一日から末日までを一か月とし、翌一五日に支払われることは当事者間に争いがない。)一か月金九万七九一九円の割合による賃金と昭和四九年上期分の一時金として一七万七三二四円とを仮に支払うことを求める限度において本件仮処分申請は理由があるからこれを認容し、その余の申請は却下し、申請費用につき民訴法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中田四郎 裁判官 本田恭一 裁判官杉本正樹は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 中田四郎)

<以下省略>

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